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秩父・最上・西国・坂東札所巡りへ![]() |
事 前 | 平成廿二年三月十三日 |
第一期 | 平成廿二年三月 廿 日 〜 三月卅一日 |
第二期 | 平成廿二年四月廿七日 〜 五月 五 日 ![]() |
第三期 | 平成廿二年六月廿三日 〜 七月 二 日 |
第四期 | 平成廿二年十月廿三日 〜十一月 二 日 |
第五期 | 平成廿三年二月廿五日 〜 三月 六 日 |
第六期 | 平成廿三年四月 卅 日 〜 五月十四日 |
第七期 | 平成廿三年九月十七日 〜 九月廿四日 |
11月23日 八十八番霊場 遍照光院 大窪寺(9月19日)を載せました。 |
発心の道場 | 阿波の國 | 一 番 〜 廿三 番 |
修行の道場 | 土佐の國 | 廿四 番 〜 卅九 番 |
菩提の道場 | 伊豫の國 | 四十 番 〜 六十五番 |
涅槃の道場 | 讃岐の國 | 六十六番 〜 八十八番 |
![]() ところが、平成20年5月に身近な方が急逝されました。 しかも6月には秋葉原の事件で知っている方が命を絶たれました。 無念にも亡くなられた方々のご供養と、残された人々のご加護のため、お写経を始めました。 そして、平成20年6月14日、秩父三十四ヶ所観音霊場の全行程を順打ちで歩き巡礼を始めました。 平成20年7月13日、お陰様で秩父の札所を結願することができました。 引き続き、9、10月に最上の札所をお参りし、結願することができました。 そして、10月から西国の札所、11月から坂東の札所を巡りました。 平成21年5月6日お陰様で坂東の札所を結願することができました。 そして、平成21年11月1日一乗寺で西国札所が結願となりました。 これで日本百観音霊場を結願することができました。 |
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![]() 全行程順打ち歩きお遍路で廻ります。 3月20日朝、新幹線で京都に行き、東寺をお参りした後、高速バスで徳島に行きます。 翌朝、徳島から高徳線で板東に行き、一番霊場 霊山寺からお遍路を始めます。 今回は、「発心の道場」阿波の國の一番霊場 霊仙寺から廿三番霊場 薬王寺まで約220q廻る予定です。 途中、「遍路ころがし」と言われる苦行の場が三個所あります。 十二番焼山寺、廿番鶴林寺、廿一番太龍寺の各霊場が険しい山上にあります。 無理をせずゆっくりお参りしてこようと思っております。 |
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![]() 途中、大渋滞で2時間遅れました。 翌日(21日)は、黄砂と強風に悩まされました。 一番霊山寺、二番極楽寺、三番金泉寺、四番大日寺、五番地蔵寺を廻り、六番安楽寺に泊まりました。 22日、早朝六番安楽寺をお参りし、七番十楽寺、八番熊谷寺、九番法輪寺、十番切幡寺を廻り、旅館吉野に泊まりました。 23日、十一番藤井寺をお参りしてから急坂を上り、十二番焼山寺に向かいました。 遍路ころがしといわれるほどそれはきつかったです。 しかも途中から雨が降ってきてそれはそれは厳しかったです。 今、思い返すとよく歩けたと思います。 雨が強く降る中、焼山寺の納経所に入り、勧められてストーブに当たって暖をとると、生き返った思いがしました。 なべいわ荘に辿り着いたときは、18時を回っていました。 24日、雨の中歩いて、十三番大日寺をお参りしました。 名西旅館「花」に泊まりました。 25日も雨の中、十四番常楽寺、十五番国分寺、十六番観音寺、十七番井戸寺をお参りし、徳島市内と通り過ぎました。 約16q歩いて、18時過ぎ民宿ちばに着きました。 26日は久々の太陽の下、十八番恩山寺、十九番立江寺をお参りして、金子やに泊まりました。 歩いた距離が短かったので14時30分に着いてしまいました。 翌27日は、遍路ころがし第二弾の廿番鶴林寺、第三弾の廿一番太龍寺の二つの山を越えました。 ここも厳しかったですが、焼山寺を体験していたので何とかなりました。 坂口屋に泊まりました。 28日、廿二番平等寺をお参りし、足のマメが痛いので、15q歩いて民宿明山荘に泊まりました。 29日、廿三番薬王寺をお参りし、6q先の打越寺まで行き、列車で戻り、薬王寺の薬師会館に泊まりました。 30日朝、廿三番薬王寺のお勤めに参加してから、列車で山河内駅の打越寺から歩き、番外鯖大師をお参りしました。 JR四国最終の海部駅まで歩き、列車で徳島に戻り、夜行バスで浜松町に帰ってきました。 ほぼ予定通り廿三ヵ寺、約200q歩くことができました。 ありがとうございました。 |
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![]() この時行く先の阿南市では、120o/hの集中豪雨で大変な事態になってました。 国道は冠水し至る所で通行止めになり、鉄道は不通となり、床下浸水、避難勧告も出されたとのことでした。 翌28日 バスが阿南市に着いたときは、晴天となっており、水も引いてました。 駅前からtaxiで廿番札所鶴林寺へ参りました。 前回歩いた道に出て、山道を上がって行きました。 やはり車で山を上がるのは楽でした。 見覚えのある山門から境内に入ると、お寺さんの方々が豪雨の後の清掃に懸命でした。 本堂と大師堂でお参りを済ませ、前回教えられた白衣の背中の右側に鶴の御朱印をいただきました。 待っていただいたtaxiで阿南駅に戻り、JR四国牟岐線阿南発11時35分の列車で終点海部駅に13時07分に着きました。 前回はここまで歩きましたので、ここから歩きお遍路の続きを始めました。 歩き始めなので距離を短くして宿に着くように計画を立てたのが良かったようで、足にまめもできず体も疲れませんでした。 宿の「南風」は、サーファー向けのようでしたが、歩きお遍路の方が一人泊まられたようでした。 夜中の2時過ぎ雹の音で目が覚め、雷鳴、稲妻も凄かったです。 天気予報がずばり当たったようで、寒冷前線の通過でした。 29日6時50分 女将さんがいつまでも見送ってくださる「南風」を発ちました。 今日から本格的な歩きに入り、海岸沿いの国道55号線に21q進みました。 途中佐喜浜漁港近くのお店から出てきた品の良さそうな女性から「冷たい物でも」と、過分なお接待を受けました。 14時過ぎには目的地に着いたので、海岸で寄せては引く波を1時間ほど眺めておりました。 民宿「徳増」は、歩きお遍路向きの宿で、お客さんが座ってから天ぷらを揚げて出す心のこもった夕食でした。 30日7時10分 民宿「徳増」を発ち、約15q歩くと念願の室戸岬にある廿四番最御崎寺に着きました。 お参りが済んでから室戸岬灯台、室戸岬特別地域気象観測所を見学したかったのですが、無理でした。 特に、子供の頃から気象通報で聞いていた室戸岬観測所だけは見たかったのですが、立入禁止とあってとても残念でした。 早かったのですが、宿の遍路センターに入り旅館のような部屋でくつろぎました。 5月1日6時 見晴らしの良い4階の弥勒堂で朝のお勤めを皆さんと一緒にしました。 朝食後7時に遍路センターを発ち、廿五番津照寺、廿六番金剛頂寺をお参りしてホテルなはりに泊まりました。 2日7時45分にホテルを発ち、急坂を上り廿七番神峯寺をお参りしました。 ここでは、安田町の方々が大勢見えてお接待をしていました。 坂を下りて浜吉屋に泊まりました。 3日6時20分浜吉屋を発ち、約15q歩いて番外八流山極楽寺をお参りし、納経を済ませました。 防波堤沿いの遍路道を約9q歩いて住吉荘に泊まりました。 この宿の夕食で初めてウツボの刺身をいただきました。 美味しいというよりも噛み切れなくて難儀しました。 翌4日は朝飯抜きで5時に宿を発ちました。 途中コンビニでパンを買い、休んだ処で朝食としました。 廿八番大日寺、奥の院爪彫薬師堂をお参りしました。 田圃道を歩き、JR土讃線の踏切を渡って、11時40分廿九番国分寺をお参りしました。 残るはあと一ヵ寺となりました。 予定よりも50分早いペースなので気が楽でした。 ところが、国分寺を出てからの田圃道のどこで間違えたのか遍路道から外れてしまい、 結局四辺形の三辺を歩いたことになってしまいました。 この頃から足にまめができ、痛い足を引きずって歩きました。 番外の毘沙門ノ滝に着いたのですが、御住職さんが不在とのことで御朱印はいただけませんでした。 ひたすら暑い日差しの中、歩いて16時頃卅番善楽寺に辿り着きました。 納経時間に間に合いました。 朝早く宿を発って良かったです。 これで今回予定した全てのお寺さんをお参りすることが出来ました。 ありがとうございました。 次回歩き始めるのに都合の良い処まで痛い足を引きずって歩きました。 ところが、ここでもお寺さんを出た処の道を間違えてしまい、遠回りしてしまいました。 JR土讃線の踏切を渡り、国道44号線を南下して桂浜方面に向かって歩きました。 18時30分土佐電鉄後免線の文珠通り駅から路面電車に乗り、はりまや橋で乗り換え、19時高知駅に着きました。 東京行きの夜行バスの切符が取れなかったので、22時30分夜行バスで高知を発ち、翌朝京都に着きました。 京都からは満席の新幹線で帰りました。 |
より大きな地図で 四国八十八ヵ所霊場 を表示します。 |
東洋町の伏越ノ鼻の先の室戸岬まで35qの地点から眺めた海岸線です。 |
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(使わさせて頂いております) | |||
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